清岡幸道のうつわ 

カテゴリ:生活( 7 )

北の岬に感じたこと

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 若い時に読んだ沢木耕太郎のルポが一冊に纏められているものを古本屋で見つけた。
印象的だったのは根室や歯舞の北方領土周辺 海域で漁業を営む男達の話。 その漁師たちは「北方領土が返還されない事を聡明をあげて祈っている」という。

周辺には良質の昆布が豊富にあるのだが、ロ シア人には昆布を食べる習慣がなく放置されている。しかしその水域に踏み込めば拿捕されるので企業は手を出せない。 北方領土が返還されると大企業にすべてかっさらわれるのを危惧しながらも、漁師たちは腕と度胸、拿捕覚悟で昆布の密漁を続ける。そして結果的に昆布の希少価値が保たれている、という話。
なるほど。それ自体は矛盾した存在でありながら、既成事実として存在する矛盾の上に成り立った生活があるというのもまた分かる。 これに限らず、当然世の中には矛盾したものが沢山あるのだが、はっきり白黒つけないことで維持してきたものは多いように思う。
矛盾は歪みを蓄積する一方で、別の歪みを逃しているという側面があるのだと。
蓄積した歪を一気に取り除こうとして挫折。その為に膨れ上がってしまった大きな問題を畳みこんでいくしかなかったり。
それは近年の世の中に当て嵌めるまでもなく、ごく身近でも思い当たる事。
一筋縄ではいかない複雑な人間模様を面白く感じたのと同時に、「人間のしぶとさ」を感じた。






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by corn7sk | 2014-07-17 17:17 | 生活

福田さんの金継ぎ

「卒業しました」

福田ご夫婦がみえた。
独立以来、個展にはいつも足を運んでいただいている有り難いご夫婦。

ご夫婦にはかなり以前、僕の器を欠かしてしまったということで、修理を依頼された事があった。初めての金継ぎ修理であったがなんとか直した。それは決して満足のいくものではなかったが、ご夫婦はとても喜んで、それがきっかけになったのか、奥さんの方が金継ぎの教室に通う事になった。
それ以来ご夫婦が来られる都度金継ぎの話になり、知らない世界にただただ感心するばかりだった。
習い始めの頃から、数回に分けて、教材と銘打ってちょっと欠けたうつわを送った。
初めはこんなもの送るのは失礼じゃないかとも思ったが、欠けたりひび割れたうつわなど行き場もなく、金継ぎの役にたつのならと、なるべく形と色目の良いものを選び送った。ご夫婦からはこちらが恐縮する程、お礼を言われた。

それから数年たち、やっと卒業されたのだった。
福田さんから、袋に入った少し大きめの化粧箱を手渡された。

「どうぞ開けて見て下さい。」

箱を開けると、丁寧に包装されたうつわが十数個ほど並んでいて、その包みを開けると、見事に継がれたうつわが見えた。
それらは全て以前僕が送ったうつわだった。
欠けたうつわは美しく継がれた事で、もはや彼女の作品になっていた。
福田さんは謙遜されてたが、それは僕にはとても感動的な光景に見えた。

「本当にお世話になり、ありがとうございました。お預かりしていた器、お返しします。」

「えっ…」

当然、こちらは割れたものをあげただけなので戸惑いながらも丁重にお断りしたが、福田さんの自信作であるもの、金継ぎと共直しのものを一つづつ頂き、残りは持ち帰って戴くよう勧めた。

割れてなんぼ、というのがうつわ屋家業の商売文句だが、作り手の心情としては当然愛着をもって長く使って貰えるほど嬉しい事はない。初めて修理を依頼されて、使い込まれたうつわを修復した時に強くそう思った。

福田夫妻には本当に素敵な気持ちを頂いた。


感謝。






共直し(色漆での修復) 錆釉リム鉢
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金継ぎ 青澄マグ
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n107での二人展、お陰様で無事終了しました。
お運びいただいたお客様、本当にありがとうございました。
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by corn7sk | 2014-03-23 11:09 | 生活

藤井寺から羽曳野へ

初日の前日搬入前に少し時間があったのでギャラリー付近に車を停めて、久しぶりに藤井寺の町を散策した。
ギャラリーまでは普通、藤井寺駅前からバスに乗るらしいのだが、徒歩で二十分位と決して遠い距離ではない。
この辺は学生の頃住んでいた町なので良く知っている。
駅前には今は学校に建て替えられた藤井寺球場があった。
球場前にあった貸しレコード(CD)屋でバイトしていたのだが、宿舎暮らしの野茂英夫を会員登録したことを当時猛烈に自慢していた。


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藤井寺市は葛井寺にちなむ地名らしい。

門前にかつて多く建並んでいた旅籠屋は見当たらないが、伝統的な様式で建てられた造り酒屋が多い。通りに近いところに設えた煙り出しが印象的で、白壁の主屋や土蔵、板囲いの建物が古い町並みを形成している。



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少し歩くと、当時、掛け持ちで入っていたバイト先「居酒屋どんと」が見つかった。
賄い時から朝方まで、多い時は週5で入っていた。
ここの御夫婦には保護者同然三年間とてもお世話になった。
一品ずつ女将さんの工夫があって、その味の良さでこの辺では評判の店だった。
多分三十年以上は続いている。チェーン店でも無く、このご時世にと少し驚いた。
信楽に就職が決まると同時にここを辞める事になるのだが、餞別まで貰い、温かく送り出してくれた。
店のマスターと別れ際に、信楽でいつか陶芸家なったら[どんと]と書いた灰皿を椅子の数だけ作って店に持ってくるという約束を思い出した。
二十年も前のことなのでご夫婦はたぶん覚えていないだろうけど…
開店前の店の前をしばらくウロウロし、ギャラリーへ搬入に向かった。


灰皿……


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当時全く記憶に無い、店先の信楽狸の置物と、看板の狸。





galerie n107
清岡幸道 ・ 幾田晴子 展 は3月22日(土)迄
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by corn7sk | 2014-03-19 04:13 | 生活

パコ・デ・ルシアの訃報を聞いて思い出したこと  

フラメンコギターの巨匠。

享年66歳と聞いた。

今から20年近く前、彼のギターにはまりまくっていた時期があった。そのうち実際に生でパコ・デ・ルシア(以下パコ)のギターを聴きたくなった。スペインに行けばこの人に会えるんじゃないかと。
当時スペインに行くと言うと、何人かの人から、何か陶器の勉強か?と聞かれたが、そんな高尚な理由ではなく、現地のその砂っぽい空気の中でパコのギターがどうしても聴きたかった。


当時再就職したばかりの製陶所の社長に無理を言って休暇をもらい、なけなしの金をはたいてスペイン行きの格安航空券だけを手に入れた。
宿の手配などは全く頭になく(方法もわからなかった)、地球の歩き方と着替えだけをもって向かった。
マドリードに到着したが、スペイン語など話せる筈もなく、それどころか現地ではカタコトの英語など殆ど通じない。その日は休日だったためか、訪ねる宿全てに断られた。深夜近く路地にあった小さな古いホテル一軒だけがやっと受け入れてくれた。
チェックインを済ませ、寝支度をしかけた時、それが起こった。
ガチャガチャッと鍵を開ける音がしたとともに、フロントでチェックインした時のスーツ姿の男がマッチョなタンクトップ(ある意味その筋の制服なのか)姿で、満面の笑みで入って来た。そう…故フレディマーキュリーのあの感じだ。瞬時に全てを理解し僕は片手でリュックを持ってもう片方の手で男を押さえるような感じで開いた扉からダッシュで逃げようとした。その時、その腕を強く捕まえられたが、さらに押し込むような感じで突き飛ばして逃げた。
ホテルを飛び出してからも、追ってくる気配があったので、割と早く灯りが消えるマドリードの薄暗い街をひたすら走った。
泊まる宿もなくなり、途方に暮れた。その後、路地にたむろしていた若者たちに、道を尋ねただけで胸ぐらを捕まれナイフで凄まれたり、別のそちら風の集団(既にそういう風にしか見えなかった)に30分位追いかけ回された。
起こったこと全てが、悪い夢の中にいる感覚だった。
結局その夜は路地裏に隠れて怯えながら夜明けまで過ごした。最悪な初日だった。

「パコに会う」という目的。
気を取り直して朝から列車でマドリードからコルドバに抜けフラメンコの聖地アンダルシア・セビリア(セビージャ)に向かった。
列車に揺られながらなんとなく思った。「本当にパコに会えるのだろうか?」
行く前は、会いたい一心に全てイメージで、アンダルシアに着いて名前を出せば「パコならあそこでやってるよ」ぐらいで簡単に教えてくれるような気がしていた。いや、それどころか発音の問題なのか「パコ・デ・ルシア」という名前すら通じなく、カタコトの英語も一切通じない。徐々に不安になってきた。すぐに会えなくてもいい。セビリアに着けば、フラメンコギターの名手は五万といるはず。アンダルシアでフラメンコギターが生で聴ければいいじゃないか。列車に揺られ、時間とともに、目標が「パコっぽい人に会う」に変わっていた。


無事セビリアに到着し、何人かの現地で知った有名なフラメンコギタリストのタブラオ(ライブ)に毎夜行きまくった。
結局パコのことを尋ねても誰も知らず(通じず?)、会うことは出来なかったが、セビリアでは充分フラメンコを満喫した。
休暇の残りはスペインの南海岸マラガでスペイン人風にダラダラ過ごしてみた。
マラガの街並みは黄色く、空は海よりも青かった。小魚のフリットがあればワイン何杯でもいけた。
スペインに行くということで、何故かリュックに刷毛目のぐい呑みを10個ほど入れて持って行ったのだが、それはお世話になったスペイン人がいたらアミーゴということで渡すことに決めた。ただ思っていたより現地でアミーゴができず、最後、余った刷毛目のぐい呑みをタブラオのチケットを売ってもらったダフ屋に全部あげた。とても喜んでいたが、今思えば可笑しい話だ。


取り留めなく記憶を辿って綴ったが、再就職したばかりの会社でよくもまあ休暇が取れたものだと思う。そういう意味ではいい時代だったんだろう。

パコはフラメンコギターの世界に多大な影響を与えた人だった。
一度熱烈に好きになった音楽は自分の中ではいつまでも色褪せることはないと信じている。
訃報を知って、久し振りに聴いたパコのギターの音色はあの頃の記憶のままで、セビリアの白く古い町並みや、マラガの空よりも青かったあの頃の自分を思い出し懐かしかった。

  

後に、その当時パコはメキシコで活動していたという衝撃的な事実を知る。




合掌




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by corn7sk | 2014-03-01 02:18 | 生活

新年 娘と

「あいつら……」
「どうしたん?」
「…あれは絶対あかんで!」
「なんで?」
「……」
「なんでなん?」
「…… 危ないやろ。車にひかれるで。」
「…そうやな …でもあのお兄ちゃん優しいやん。」
「何でや?」
「あの女のひと、きっと肩の骨折れてるんやわ。お兄ちゃんが支えてるんとちがう?」
「…それはないやろ…… 」
「絶対そうやわ。優しいなあ」
「…そうやな。あれは折れてるな。折れてなかったら、あんなんしたらあかん。」
「……何でなん?」
「何でもや」
「……」
「危ないからや」
「危なくないやん」
「危ないわ!ひかれてしまうぞ。」
「……」
「わかったか?」
「…… うん…  …でも骨折れて無かったらあんなんするわけないやん ハハハ…」

「そりゃそや。ハハハ…… (絶対やぞ)」




娘を乗せた車を運転中に、小学校5,6年生位の幼い男女が抱き合うように側道を歩いていた。

時々、混乱させるようなよく分からない事をまだ小1の娘につい言ってしまう。
娘には決して物分かりのいい方ではない自分の父親の気性を早めに知って欲しいと願うばかりです…



2013年

今年も宜しくお願いいたします。

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by corn7sk | 2013-01-07 17:57 | 生活

茶房 早稲田文庫 武蔵野文庫

 二人展の在廊の為、上京したとき、この時とばかりに欲張り、得意先や個展巡りをしようと決めていた。
案の定、殆どまわれなかったのだが、最後にたどり着いたのが、吉祥寺のギャラリーpooolでの十河隆史氏の個展。気持ちのよい器と温かいスタッフの方との談笑に心が和んだ。

久々の吉祥寺、もう一つの目的は茶房武蔵野文庫というカレーの美味い茶店。
今から30年位前まで早稲田大学の正門付近に私の祖父母が経営していた茶房早稲田文庫という喫茶店があった。メニューのヨーグルトケーキや焼きりんごは当時小学生だった私にはとてもハイカラ(?)なものに思えた。
その店は35年続き閉店後、
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間もなくそのお店で働いていた当時店長だった日下さんという方がメニューもレシピも継いで吉祥寺に茶房武蔵野文庫を開店したのだ。この日下さんはじめ当時早稲田の学生だったスタッフの方がたには子供の頃からいまだに兄、姉のようにずっと慕っていて、いまだにお世話になっている。
武蔵野文庫も、もう27年になるという。久々のカレーもやはり美味い。私のカレーの舌はここで仕上がったのだと確信する。
その夜は日下さんと盛り上がり、安宿の門限(があった)を忘れるほど話が尽きなかった。








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by corn7sk | 2012-04-19 02:41 | 生活

入学式

ムスメの入学式。

外は少し寒さが残るが、とにかく晴れて良かった。
先月、保育園を終えた寂しさがまだ残ってはいるが(私が)、校長の話など聞いてしまうと、もう確実に小学生になったのだと自覚しないわけにはいかない。

とにかくめでたい日には間違いないのだから父親として存分に祝ってあげたい。

 
おめでとう。 おっきくなった。。


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発表会やこういった式の入場時にはいつも顔を見られたく無いと下を向く。


変なとこが似るものだ。。
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by corn7sk | 2012-04-09 15:37 | 生活