清岡幸道のうつわ 

<   2014年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

展示会の予定

5月、6月の展示予定一部変更がありました。
宜しくお願いいたします。




5.1~18  linne(輪廻)一周年企画 さいたま市

5.2~12  コホロ 個展  東京 二子玉川

5.17,18  フィールドオブクラフト 倉敷市

6.15~  sizuku 2人展with鳥山高史 堺市

6.16~   かたくち屋企画展 JR名古屋高島屋



詳細は追ってお知らせいたします。
[PR]
by corn7sk | 2014-03-30 10:25 | 仕事

福田さんの金継ぎ

「卒業しました」

福田ご夫婦がみえた。
独立以来、個展にはいつも足を運んでいただいている有り難いご夫婦。

ご夫婦にはかなり以前、僕の器を欠かしてしまったということで、修理を依頼された事があった。初めての金継ぎ修理であったがなんとか直した。それは決して満足のいくものではなかったが、ご夫婦はとても喜んで、それがきっかけになったのか、奥さんの方が金継ぎの教室に通う事になった。
それ以来ご夫婦が来られる都度金継ぎの話になり、知らない世界にただただ感心するばかりだった。
習い始めの頃から、数回に分けて、教材と銘打ってちょっと欠けたうつわを送った。
初めはこんなもの送るのは失礼じゃないかとも思ったが、欠けたりひび割れたうつわなど行き場もなく、金継ぎの役にたつのならと、なるべく形と色目の良いものを選び送った。ご夫婦からはこちらが恐縮する程、お礼を言われた。

それから数年たち、やっと卒業されたのだった。
福田さんから、袋に入った少し大きめの化粧箱を手渡された。

「どうぞ開けて見て下さい。」

箱を開けると、丁寧に包装されたうつわが十数個ほど並んでいて、その包みを開けると、見事に継がれたうつわが見えた。
それらは全て以前僕が送ったうつわだった。
欠けたうつわは美しく継がれた事で、もはや彼女の作品になっていた。
福田さんは謙遜されてたが、それは僕にはとても感動的な光景に見えた。

「本当にお世話になり、ありがとうございました。お預かりしていた器、お返しします。」

「えっ…」

当然、こちらは割れたものをあげただけなので戸惑いながらも丁重にお断りしたが、福田さんの自信作であるもの、金継ぎと共直しのものを一つづつ頂き、残りは持ち帰って戴くよう勧めた。

割れてなんぼ、というのがうつわ屋家業の商売文句だが、作り手の心情としては当然愛着をもって長く使って貰えるほど嬉しい事はない。初めて修理を依頼されて、使い込まれたうつわを修復した時に強くそう思った。

福田夫妻には本当に素敵な気持ちを頂いた。


感謝。






共直し(色漆での修復) 錆釉リム鉢
e0271335_1159644.jpg



金継ぎ 青澄マグ
e0271335_13553940.jpg









n107での二人展、お陰様で無事終了しました。
お運びいただいたお客様、本当にありがとうございました。
[PR]
by corn7sk | 2014-03-23 11:09 | 生活

藤井寺から羽曳野へ

初日の前日搬入前に少し時間があったのでギャラリー付近に車を停めて、久しぶりに藤井寺の町を散策した。
ギャラリーまでは普通、藤井寺駅前からバスに乗るらしいのだが、徒歩で二十分位と決して遠い距離ではない。
この辺は学生の頃住んでいた町なので良く知っている。
駅前には今は学校に建て替えられた藤井寺球場があった。
球場前にあった貸しレコード(CD)屋でバイトしていたのだが、宿舎暮らしの野茂英夫を会員登録したことを当時猛烈に自慢していた。


e0271335_285476.jpg




藤井寺市は葛井寺にちなむ地名らしい。

門前にかつて多く建並んでいた旅籠屋は見当たらないが、伝統的な様式で建てられた造り酒屋が多い。通りに近いところに設えた煙り出しが印象的で、白壁の主屋や土蔵、板囲いの建物が古い町並みを形成している。



e0271335_29210.jpg



少し歩くと、当時、掛け持ちで入っていたバイト先「居酒屋どんと」が見つかった。
賄い時から朝方まで、多い時は週5で入っていた。
ここの御夫婦には保護者同然三年間とてもお世話になった。
一品ずつ女将さんの工夫があって、その味の良さでこの辺では評判の店だった。
多分三十年以上は続いている。チェーン店でも無く、このご時世にと少し驚いた。
信楽に就職が決まると同時にここを辞める事になるのだが、餞別まで貰い、温かく送り出してくれた。
店のマスターと別れ際に、信楽でいつか陶芸家なったら[どんと]と書いた灰皿を椅子の数だけ作って店に持ってくるという約束を思い出した。
二十年も前のことなのでご夫婦はたぶん覚えていないだろうけど…
開店前の店の前をしばらくウロウロし、ギャラリーへ搬入に向かった。


灰皿……


e0271335_28477.jpg
当時全く記憶に無い、店先の信楽狸の置物と、看板の狸。





galerie n107
清岡幸道 ・ 幾田晴子 展 は3月22日(土)迄
[PR]
by corn7sk | 2014-03-19 04:13 | 生活

清岡幸道・幾田晴子 二人展 galerie n107

昨日 galerie n107 へ搬入を終えました。

本日15日(土)から始まります。

青灰、錆釉の鉢、ピッチャー、耐熱器の新作などが並びます。

お近くの方、どうぞお運び下さい。

在廊日 

15日(土) 幾田  16日(日) 幾田 清岡

galerien107→
大阪府羽曳野市野の上2-3-7ヴィラージュレセナ南練101
tel 072-934-1210

近鉄南大阪線 藤井寺駅より徒歩15分
近鉄南大阪線 藤井寺駅南出口UFJ銀行側よりバス乗車 野々上下車徒歩5分



e0271335_1665815.jpg




e0271335_23474824.jpg

[PR]
by corn7sk | 2014-03-15 00:04 | 仕事

清岡幸道 ・ 幾田晴子 展 galerie n107

二人展のお知らせです。

幾田さんとは一年半ぶり二回目の二人展です。

会場  galerie n107
会期  3.15(土)~22(土)
時間  11:00~17:00 会期中無休
在廊日 幾田15(土)16(日) 清岡16(日)

大阪府羽曳野市野の上2-13-7ヴィラージュレセナ南棟101
tel 072-934-1210

e0271335_1525570.jpg


三年ほど前にn107の中岡さんとお話している時に訊ねた。

「幾田晴子って、まさか九州の?」

「お知り合いですか?今は篠山で工房を構えてられます」

「じゃあ、多分、イヤ間違いなく知ってます」

「そうなんですか、幾田さんの器は清岡さんのとは対象的なのできっとあいますよ」

それが一回目の二人展。

幾田晴子さんは十代の頃の横浜時代の友人で、中岡さんからそのお話を伺った時既に二十年以上会っていなかった。彼女は東京の美大を出て、有田へ焼き物の修行に行ってると風の噂で聞いていたが、十年ほど前に工房を兵庫県の篠山に移し作家として活動していたのだった。

およそ四半世紀前の出会いから周り回って大阪羽曳野で二人展をするなんて、つくづく狭い世界で生きてるのだなと思う。

e0271335_15242340.jpg
幾田晴子 二重花形鉢



有田の産地で修行した幾田さんは、僕も産地なのでよくわかるのですが、産地にいると、良くも悪くもその産地の特性というのが無意識のうちに身にしみつく。勿論それを自分のフィルターに通して長い時間かけて自分のやりたい器を目指すのだろうけど。
彼女と話をしていると、僕の知らない産地の匂いを強く感じて、その作風のルーツが垣間見れたりでとても興味深い。
前回の二人展が終わった時、「好対照な器の展示でとても良かった。」 中岡さん含め来られた多くのお客様が口を揃えて言ってくれた。対象的な器だけども展示するととてもよく合う。

今回の展示もとても楽しみです。


お近くの方、どうぞ宜しくお願いいたします。

e0271335_15234213.jpg
幾田晴子 雪輪皿
[PR]
by corn7sk | 2014-03-06 17:39 | 仕事

パコ・デ・ルシアの訃報を聞いて思い出したこと  

フラメンコギターの巨匠。

享年66歳と聞いた。

今から20年近く前、彼のギターにはまりまくっていた時期があった。そのうち実際に生でパコ・デ・ルシア(以下パコ)のギターを聴きたくなった。スペインに行けばこの人に会えるんじゃないかと。
当時スペインに行くと言うと、何人かの人から、何か陶器の勉強か?と聞かれたが、そんな高尚な理由ではなく、現地のその砂っぽい空気の中でパコのギターがどうしても聴きたかった。


当時再就職したばかりの製陶所の社長に無理を言って休暇をもらい、なけなしの金をはたいてスペイン行きの格安航空券だけを手に入れた。
宿の手配などは全く頭になく(方法もわからなかった)、地球の歩き方と着替えだけをもって向かった。
マドリードに到着したが、スペイン語など話せる筈もなく、それどころか現地ではカタコトの英語など殆ど通じない。その日は休日だったためか、訪ねる宿全てに断られた。深夜近く路地にあった小さな古いホテル一軒だけがやっと受け入れてくれた。
チェックインを済ませ、寝支度をしかけた時、それが起こった。
ガチャガチャッと鍵を開ける音がしたとともに、フロントでチェックインした時のスーツ姿の男がマッチョなタンクトップ(ある意味その筋の制服なのか)姿で、満面の笑みで入って来た。そう…故フレディマーキュリーのあの感じだ。瞬時に全てを理解し僕は片手でリュックを持ってもう片方の手で男を押さえるような感じで開いた扉からダッシュで逃げようとした。その時、その腕を強く捕まえられたが、さらに押し込むような感じで突き飛ばして逃げた。
ホテルを飛び出してからも、追ってくる気配があったので、割と早く灯りが消えるマドリードの薄暗い街をひたすら走った。
泊まる宿もなくなり、途方に暮れた。その後、路地にたむろしていた若者たちに、道を尋ねただけで胸ぐらを捕まれナイフで凄まれたり、別のそちら風の集団(既にそういう風にしか見えなかった)に30分位追いかけ回された。
起こったこと全てが、悪い夢の中にいる感覚だった。
結局その夜は路地裏に隠れて怯えながら夜明けまで過ごした。最悪な初日だった。

「パコに会う」という目的。
気を取り直して朝から列車でマドリードからコルドバに抜けフラメンコの聖地アンダルシア・セビリア(セビージャ)に向かった。
列車に揺られながらなんとなく思った。「本当にパコに会えるのだろうか?」
行く前は、会いたい一心に全てイメージで、アンダルシアに着いて名前を出せば「パコならあそこでやってるよ」ぐらいで簡単に教えてくれるような気がしていた。いや、それどころか発音の問題なのか「パコ・デ・ルシア」という名前すら通じなく、カタコトの英語も一切通じない。徐々に不安になってきた。すぐに会えなくてもいい。セビリアに着けば、フラメンコギターの名手は五万といるはず。アンダルシアでフラメンコギターが生で聴ければいいじゃないか。列車に揺られ、時間とともに、目標が「パコっぽい人に会う」に変わっていた。


無事セビリアに到着し、何人かの現地で知った有名なフラメンコギタリストのタブラオ(ライブ)に毎夜行きまくった。
結局パコのことを尋ねても誰も知らず(通じず?)、会うことは出来なかったが、セビリアでは充分フラメンコを満喫した。
休暇の残りはスペインの南海岸マラガでスペイン人風にダラダラ過ごしてみた。
マラガの街並みは黄色く、空は海よりも青かった。小魚のフリットがあればワイン何杯でもいけた。
スペインに行くということで、何故かリュックに刷毛目のぐい呑みを10個ほど入れて持って行ったのだが、それはお世話になったスペイン人がいたらアミーゴということで渡すことに決めた。ただ思っていたより現地でアミーゴができず、最後、余った刷毛目のぐい呑みをタブラオのチケットを売ってもらったダフ屋に全部あげた。とても喜んでいたが、今思えば可笑しい話だ。


取り留めなく記憶を辿って綴ったが、再就職したばかりの会社でよくもまあ休暇が取れたものだと思う。そういう意味ではいい時代だったんだろう。

パコはフラメンコギターの世界に多大な影響を与えた人だった。
一度熱烈に好きになった音楽は自分の中ではいつまでも色褪せることはないと信じている。
訃報を知って、久し振りに聴いたパコのギターの音色はあの頃の記憶のままで、セビリアの白く古い町並みや、マラガの空よりも青かったあの頃の自分を思い出し懐かしかった。

  

後に、その当時パコはメキシコで活動していたという衝撃的な事実を知る。




合掌




e0271335_21394561.jpg

[PR]
by corn7sk | 2014-03-01 02:18 | 生活